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子育てコラム   3歳児を持つ親の壁  『育児の曲がり角』    【キッズライフなび】

 

 子育てコラム    3歳児を持つ親の壁  『育児の曲がり角』

子育て・幼児教育・育児

 

子育てコラム    3歳児を持つ親の壁  『育児の曲がり角』

子育て・幼児教育・育児

 

1.はじめに

「子どもってかわいいな」と思って育てていると、3歳前後になって、急に「イヤ」ということが増えてくるように感じられることがあります。
また、「イヤ」だけではなく、「洋服はこれでなくちゃイヤだ」とか「これをしたい」など、子どもの意志が強くなってきます。これは、急速な自我の芽生えといわれ、その程度は子どもによって差がありますが、多かれ少なかれ、こういった現象が見られます。勿論、そのすべてが「イヤ」なのではなく、親をからかうというか、子ども自身も楽しんでいる様子も見られます。
ですから「反抗期なのね」で済ましているうちはよいのですが、あまりに「イヤ」を連発されると、親の方がこれに耐えきれなくなり、いわゆる「キレて」しまうこともあります。
時には、かわいさを通り越して憎らしく思えてくることもあるほどです。昔からこのことを指して「三ツ憎(みつにく)」といってきました。3歳になると、憎らしいことを言ったりやったりするということでしょうか。
このように、今までは愛おしさだけで育児ができてきたのに、いつの間にか子どもとの距離ができたように感じたり、今までのようにかわいいと思うことが少なくなると言うお母さんもいます。 また、「あれはダメ」「これはいけません」と禁止することが多くなり、子どもを否定的に見てしまうと言う声もあります。
このように、子どもが成長していく過程には、親から見れば決して好ましくない方向に行っているかのような時期があります。
しかし、3歳はまだ小さい為、その教育につてはあまり重要に考えられていないふしがあります。困って入るけど、何とかなるでしょ、という良く言えば楽観的、おおらか、悪く言えば呑気、成り行き任せのところがあるように思えます。

 

その一方で、ひどく神経質になり、育児について自信をなくし、混乱してしまう例も見られます。近頃のように、育児に関する情報が多くなればなるほど、「良い母親」になろうと頑張ってしまい、その結果、ひどく落ち込んでしまうこともあります。
確かに、このやっかいな時期はそれほど長く続くわけではないので、あまり気にすることもないといえばその通りなのですが、かといって、成り行きに任せて子どもを叱りつけてばかりいたり、逆に子どもの言いなりになって「この子はこんな子だから」と半ばあきらめてしまっていると、その後の子どもの教育に深刻な影響を残すこともあります。
3歳児の子育ては負担な面もありますが、ほんの少し、工夫をするだけで、あるいは心構えを持つだけでかなり楽になるはずです。

この時期をどのように乗り切ったらいいのか、あるいはこの時期の育児や教育の持つ意味について、少し考えてみましょう。

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   2.子どもの誕生

生まれたばかりの赤ちゃんは、どの子どもも大変かわいらしい。子どもは万全の保護をされるために、このかわいらしさを持って生まれたのだ、という説も納得できるほどです。
赤ちゃんを見て、怒り出す人はほとんどいません。よほどの変わり者か、機嫌が悪くなければ、赤ちゃんを見ればあやしたくなります。
この赤ちゃんを産んだお母さんはなおさらです。もともと、自分の胎内で10ヶ月も育てたのですから、愛おしくないはずはありません。いわば一心同体の状態です。
生まれてきても、一心同体のような気分はしばらく続きます。赤ちゃんが泣けば、どんなに眠たくても飛び起きて世話をします。どこか具合が悪そうであれば、自分が具合が悪くなったかのような気分になる人もいます。

 

赤ちゃんも、まず母親を認識すると言われます。そうして、おなかがすけば泣いて訴え、それを満たしてくれるのが母親であるということを覚えます。目がはっきりと見えるようになれば、母親の顔をじっと見ている赤ちゃんをよく見かけます。時にはにっこりと微笑むことがあり、このことが母親を喜ばせます。母親が微笑み返すことによって、赤ちゃんとの間に共感と信頼が生まれます。こうして、生まれ落ちても、母親と赤ちゃんは、強い信頼関係で結ばれているのです。
また、赤ちゃんの発達はめざましいものがあります。わずか1ヶ月の間に、今までできなかったことや分からなかったことができるようになり、分かるようになるのです。
たとえば、あやすとそれに応えて笑い返すことから始まり、喃語を話し、お座りができるようになる。やがて伝い歩きを始め、そのうち一歩一歩歩き始めます。昔の人がこの親の心を「はえば立て,立てば歩めの親心」といっています。
このように子どもの発達を周りの大人が願い、それに答えるかのように成長していく子どもの姿が、より一層母親をはじめ周りの大人を喜ばせます。

 

この時期の子どもに対する周りの大人は、ほとんどが子どもに寄り添う形で育児をします。 極端なことを言えば、子どもが歩き始めるときに、これを一生懸命教え込む大人はいません。
子どもが静かに立ち上がり、そーっと一歩を踏み出すのを、息を潜めて見ています。あるいは、テーブルなどに掴まって、そこから一歩を踏み出したとしても同じです。2、3歩歩けばどすんと腰を落としてしまうでしょうが、それを見た親は、たいていは子どもの側に駆け寄り「すご〜い!歩けたね」といって抱き上げるでしょう。それから後も同様です。歩き始めた子どもを、より上手に歩かせたいと思う親は、子どもを支えて立たせ、もう一方に親や大人が立ち、あやしながらそちらの方向へ向かって歩かせます。この際も、決して教えないのです。子どもが歩きたい、あるいはそちらに行きたいという思いを強く持たせるように上手にあやしながら、子どもを歩かせます。
これらの一連の親の行為は、子どもの内なる欲求を認め、それを励まし、あるいは興味をそそり、より望ましい方向へ導こうとするものです。
なぜ、この様なことをくどくどと述べるかというと、実は、子どもが成長するにしたがって、このことを次第に親や周りの大人たちが失っていく傾向があるからです。このことは後でもう一度詳しくお話しいたします。
さて、このように子どもの成長を見守りながら、色々変化していく子どもの姿を楽しんで育児は続きます。少なくとも3歳まではです。

 

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  3.3歳児の抵抗

前述したように、3歳前後から急に自己主張を始めます。それも大人から見ればまことに一貫性が無く、気まぐれに見えます。あるいは、わざとそうしているのではないかと思われることもあります。
たとえば、季節外れの洋服を着たがったり、靴を脱いではだしになって洋服を汚したりすることもあります。時にはできもしない事をやると言い張って、結果失敗してしまうこともあります。
特に、お母さんが忙しい時に限って、この様な事をやることが多かったりすると、お母さんはほとほと疲れ果ててしまいます。また、仕事を持っているお母さんにとっては、イチイチ子供の言うことなんか聞いていられないというのも理解できるというものです。
これらの事にどのように対処するかを考える前に、一体、子供の中で何が起きているのかを考えてみましょう。

 

3歳になると、運動機能が一段と発達します。かなり高い所から飛び降りたり、短い区間ですが片足ケンケンもできるようになります。一方、手先を使って細かな作業もかなり上手にこなすことができるようになります。このように、自分の体を使って出来ることが増えるようになると色々試してみたくなるのは当然です。
さらに、赤ちゃんの時からいつも自分の欲求を満たされてきましたから、依然として、自分が世界の中心であるという感覚を持っています。あるいは、別の言い方をすると、自分は何でも実現できるという感覚です。これを「幼児万能感」といいます。
これは当然のことで、生まれてから母親を始め周りの大人たちは、子供に寄り添って生活をし、子供が話せなくても泣き声でこれを察し、子供の欲求をくみ取ってきました。そのようにして育ってきたのですから、自分と他人という区別する感覚は曖昧ながら持ったとしても、依然として世界の中心に自分が居ると考えるのは当然です。
しかし、この感覚を持っていることは決して悪いことではありません。「幼児万能感」はのちに、自己に対する信頼感につながるという考えもあるくらいですから、この時期にこの万能感が無い方が問題だと言えるでしょう。
こうして、3歳の子どもは広がる興味と「万能感」に支えられて、目覚ましい進歩を遂げた運動機能を使って色々な事をやろうとします

 

今までは、周りの大人が望ましい方向に興味付けて導いていたのに、それがなかなかできなくなります。それは、子どもが親との一体感から離れて、新しい「自己」に目覚めた事だろうと考えられます。
「自己」つまり自分というものがどのように形成されるのかは、少し長くなりますし、専門的にもなりますので割愛させていただきますが、要するに乳児期の自分の体の認識から始まって、内面へと変化していく大きな転換期と考えればいいと思います。つまり、親や周りの大人に信頼を寄せ、その励ましに支えられて最初の一歩を踏み出した時とは異なる「自己」が育ちつつあると考えた方が分かりやすいかと思います。
「幼児万能感」に支えられ、かなり複雑な言語も理解、駆使できるようになり、それとともに思考力も発達します。おまけに運動機能も伸びてくるのですから、毎日がわくわくするような思いで行動しているのでしょう。つまり、この世の中は未知の興味あることに溢れ、しかもどれに手を伸ばしても手が届きそうな感じがする。何でもやってみたい!そんな思いで子どもは毎日を過ごしているに違いありません。
このことが、時には「自分勝手で、気まぐれで、何でも自分でやりたがる。おまけに人の言う事は聞かず、親の都合などどこ吹く風。こんなに大変な思いをしているのに、いったいうちの子はどうなってしまうのかしら。」と心配したり、腹が立ったりするのです。そのうえ、妙に甘えん坊になってしまうこともあるのですから、ますます親の方は翻弄されて、訳が分からなくなります。ですから、3歳児は「自立」と「依存」の両方の世界を行ったり来たりしているのです。
それでは、この様な子どもたちに対して、どのように接したらいいのでしょう。

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   4.3歳児の子供とどう向き合うか

何度か述べてきたように、大人とりわけお母さんは、子供と一体になるように子どもを育ててきました。乳児の時は特にこれが強く、子どもの痛みが自分の痛みに感じられるというお母さんもいるほど子どもとの一体感は強いものです。
しかし、子どもが成長するにつれて、当然のことながらこの感覚は薄れて行きます。子どもが言語を獲得するに従い、次第に新たな自己を作り始めるのを感じるからです。子どもが、母親との一体感から外れて行くように、やがてお母さんも子どもとの一体感から解放されていきます。
ここに新たな人間関係が構築されようとしているのです。

子どもと向き合うというのは、子どもという自己と母親という自己が向き合うことです。黒子のように振舞っていた母から一人の大人の母親として子どもの前に立つことを求められる新しい段階に入ったということです
これが3歳児とかかわる基本的な親の姿勢です。
そして、これからの親子の関係はずっとこの関係が続いていくということを意識することです。親には親の人生があり、子供には子供の人生がある。この当たり前のようなことを、この子どもが3歳前後になった時、すなわち子どもが自己主張を始めることが顕著になった時から、はっきりと意識することでしょう。このことは、のちの子どもに対する影響が大変大きいものであることは、私も経験上、よくわかっているつもりです。
さて、それでは具体的にどのように向き合えばいいのでしょう。
幾つかの例をあげながら考えてみたいと思います。

 

子どもの行動は思いがけないことをすることが多いものです。特に怪我につながるような危険な事も多くあります。
この場合、当然禁止するわけですが、むやみやたらと禁止するだけでは、子供にとって面白くない事もあります。子供が重大な怪我をしない範囲で、冒険心を満足させるというのも大切なことです。この線引きはそれぞれのご家庭の感覚的な事もありますから、一概に決めることはできません。ですが、できるだけ子どもの感覚に任せて、事故のないように大人がつき沿ってやるということが大切だろうと思います
良くみられる例としては、余りにけがを恐れる、あるいは親がもともと神経質なタイプだとこの禁止事項が多くなる傾向にあります。高い所が苦手なお母さんは子どもが高い所に登るのが心配でやめさせようとしたり、水が苦手なお父さんは、水辺で遊ぶことに消極的だったりすることがよくあります。仕方のないこともありますが、子供が新しいことに挑戦するチャンスを生かしてほしいと思います。
危険な事だけではなく、マナーやルールを守るといったことも大切です
近年は自由に振舞うことをよしとする風潮があり、マナーやルールといったことにあまり関心のない家庭もあります。
しかし、マナーやルールを守るということは、社会生活を送る上で欠かすことのできない大切なものですから、このことは親の責任と心得て、しっかり教えることが大切です。
そして、これらのことはすぐにできるのではなく、時間を時間をかけて繰り返し教えることが大切であることも分かっています。
この教え方のポイントの一つは、その場面ですぐに教えることです。たとえがあまり適切ではないかもしれませんが、犬に教える時もその場で叱ることが大切で、時間がたってから後で幾ら教えても効果はないそうです。つまり人間の子どもも同様で、何か不適切な行動があった時は、すぐにその場で注意をすることが大切です。


二つ目のポイントは、毅然とした態度で叱るということです
よく街角で見かけることですが、確かに注意をしているのですが、その言葉が子どもに届いていないな、と感じることがあります。これは、注意をしている側、つまり多くの場合お母さんなのですが、こちらに真剣さや言っていることに確信が無いことが多いように思われます。したがって、言葉が宙に浮くように流れて聞こえてしまうのです。
また、これとは逆にあまりに真剣になりすぎて、感情的になり子どもが怯えたようになっていることもあります。つまり言われている内容は頭の上を飛び越して、子どもはただ首をすくめて嵐の通り過ぎるのを待っているような状態です。
このどちらも注意したことの効果は期待できません。前者は、いつも親の言うことを聞き流してしまう悪い癖がやがて身に着いてしまうかもしれませんし、後者の場合は、いつも親の顔色だけを見て行動してしまうかもしれません。
毅然とした態度で叱るということは、親の真剣な態度と冷静さです。
つまり、禁止していることの理由をきちんと子供に分かるように真剣に伝えることです。この禁止理由を子どもが理解した場合、同じ過ちを繰り返す率がぐんと低くなるというデータもあります。また、別の場面でも同じような過ちをしないということも言われています。
一つの事で理解できれば、同じような場面で少し内容が違っても、その行為はいけない事としてしなくなるというのです。もちろん、子どもによっては、ただ単に「いけません」と注意されただけで、他の場面で同じような事をしないということも多くあります。これは、子ども自身が持っている学習能力によるものです。ですが、このことだけをあてにして、いつも「いけません」だけを連発していたのでは、同じあやまちを繰り返し、やがて大人の方が癇癪を起さなければならなくなるでしょう。そんな時に決まって言う言葉は「何回同じことを言えば分かるのツ!」でしょう。


三つ目のポイントは、子どもの話を聞き取る、あるいは受け止める姿勢を示すことだと思います。
躾をしようとか、何か親の考えを分からせようと焦ると、どうしても怒ってしまいがちです。子どもがだだをこねたときなどは特にそうです。この様なときも決して焦らず、まず子どもの話を聞く。あるいは、うまく言えなかったら、子どものやりたいことや思っていることを汲み取って子どもに話してやることです。3歳の子どもは、まだ自分のことをうまく話せません。
それを親がうまく汲み取って子どもに返してやることによって、子ども自身が自分を知ることになり、また、親から受け止められたと思い安心するものです。
このことはとても大切なことですが、周りの大人もかなり意識して、努力をしないとなかなかうまくいかないものです。けれども、最初うまく行かないからといってあきらめてしまわずに大人も努力すべきです。そうして互いが少しずつうまくコミュニケーションがとれるようになっていきます。
この大人の努力は、大きくなっても続けられることが大切で、子どもが大きくなったときには、子ども自身が自分の居場所があることを実感するようになります。自分の居場所がないと嘆く若者が多くいますが、これは自分のことを分かってくれようとする人がいないということによるものだと思われます。


四つ目のポイントは、親の生き方です。
教育の本質は、文化と価値を伝えることです。この文化や価値を体現しているのは大人達です。毎日の話題や振る舞いが、これらの事を表しています。このことは同時に「家庭の空気」あるいは「風」となって子どもを包みます。
じつは、この「家庭の空気」、あるいは「風」が子どもの教育に大きな影響を及ぼしているのではないかと思われることが沢山あります。
親が意識していなくても、色々な話題や物の扱い方、事柄の対処の仕方、対人関係など、日常大人の世界でおきる様々な事に子どもは影響を受けているのではないかと思われるのです。
スポーツの好きなお父さんの影響が強いと子どもはスポーツが好きになり、科学に興味や知識の多い親に育てられると、その方面に強い関心や知識が増えるということはよくみられることです。
立ち居振る舞いといったことでも同様で、靴をきちんと揃えるとか、整理整頓をきちんとするといったことが日常的に行われている家庭では、当たり前のように片づけが出来る子どもが多いようです。勿論、例外もあります。それは、お母さんが何でも手早く、すこしせっかちで何でもできてしまうと、子どもにやらせることが出来ず、何でも手を出して子どもが出来なくなってしまうということもあります。
このように、何気ない大人の振る舞いが家庭の雰囲気となって、子どもに影響しているのでしょう。私たち大人は、そう言った意味では絶えず自分の生活を振り返ってみる必要がありそうです。

 

さて、もう一度、躾のポイントをまとめてみましょう。
・出来るだけ子どもにはいろいろな体験をさせ、挑戦したり冒険心を満足させること。
・禁止する時は、その場面ですぐに、子どもに分かる理由をきちんと話すこと。
・子どもの話を聞き取ること。その上で、親の考えや都合を話すこと。
・親が大切にしていることはなにかをいつも見直し、生活すること。

以上の事は、要は子どもが将来にわたって社会生活を営む上で必要な資質を身につけるという点で大切です。そして、社会生活を営む上での必要性だけではなく、子どもの内面を安定させる働きを同時にしています。
しかし、躾だけをしていればいいのかといえば、それだけでは不十分な気がします。
3歳児の行動は、新たな自分を創っていく第1歩であると考えるからです。だとすれば、望ましい行動をするだけでは不十分で、これから子どもが長い将来にわたって、自分を作っていけるに必要な資質、より一層、内面を育てる必要があるように思われます。
その資質とは何か。それを次の項で考えてみたいと思います。

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   5.子どもの内面を育てる

今まで見てきたように、3歳児は毎日毎日、色々な事に興味を持ち、挑戦し、試しながらています。そして、その一瞬一瞬が真剣です。先の事を考えない代わりに、後も振り返らない。その時その時が勝負です。この真剣さは大人も学ぶべき点が多いように思います。
しかし、ただ漫然と毎日を思い付きだけで生きているのではなさそうです。なぜならば、子どもたちは過去の自分の経験を蓄積し、その中から学び取っていくことが多いからです。
3歳の時期は、遠い将来を考えない代わり、沢山の経験を通して、新たな知識や技術を身につけていくのです。だからこそ、先ほどの項で述べたように、「家庭の風」も大切なものになるのです。
さて、子どもの内面を育てる、といっても、何をどう育てるのか、はっきりしません。よく「心を育てる」といいますが、どのような心を育てるのかはっきりしません。「優しい心」を育てればいいのか、何事にもくじけない「強い心」を育てるのか、あるいはその両方を育てるのか、よく分からなくなることがあります。
そこで、そのような抽象的な事から少し離れて、もう少し具体的に子どもの教育について考えてみましょう。



先ほども述べたように、子どもは毎日を真剣に生きています。「時間つぶし」などという概念は子どもにはありません。このことはつまり、子どもは何かに向かって歩き出しているのではないかと考えられます。それは一体何でしょうか?
子どもの遊びを見ていると、最初は大航海的な出発をします。つまり、具体的に何かを創ろうとか、その結果がどうなるということを考えなしにとにかくやり始めます。
このことは子どもと実際に一緒に遊んでみるとよくわかります。何となく思い付きのように始まり、途中でネコの目のように進路を変更します。あまり目まぐるしく変わるので、大人がついていけなくなるほどです。
時には、まるで目的があるように始めますが、途中からやはり変わってきます。子どもの遊びは変化自在なのです。
この遊びの過程で、子どもは色々な事を学びます。それは知識であったり、ちょっとした技術であったりすることもあります。この時期の子どもは経験を通してしか、理解できません。つまり身体を通して理解するのです
また、持っている知識や技術を総動員して、創造的な活動も多くみられます。模倣的な「ごっこ遊び」もその一つです。
こうして、毎日得られたものは、子どもの中に無秩序に蓄積されます。
しかし、無秩序に蓄積されたものも、繰り返し同じような活動を行うことによって、それを反芻し、再構成して、一定の秩序あるものになるのではないかと思われます。
だとすれば、子どもの遊びが、同じことを繰り返すのは極めて重要な事です。子どもの内面を育てるということは、日々真剣な遊びの中にあり、それらを繰り返すことによって、子ども自身の手で知識や技術や創造性あるいは社会性といったものまで再構成されることではないかと考えられます。
つまり子どもは、自らの手で自らの内面を育てているのではないでしょうか。
この考えは、デユーイの教育観に基づいています。哲学者であり教育改革者でもあったデユーイは、「子どもは自分で自分を創っていく」という教育観を打ち立てた人です。学校においては、従来の知識注入型あるいは知識集積型の学習から経験探究的学習を提唱した人です。
確かに子どもを見ていると、一見無秩序に見える活動も、子どもなりの理解の仕方や感じ方に従って動いているのが分かります。そして、何より重要なのは、その結果ではなく、さまざまな仮説や試行錯誤、あるいは子どもなりの省察(評価、あるいは振り返りといっても良い)といったことが、大変重要な意味を持っています。つまり、結果ではなく、その課程そのものが学習であると考えています。

 

3歳の子どもは、教えられることをあまり好みません。自分の世界で生き、自分で完結したいのです。省察というと、大変堅苦しく感じるかもしれませんが、誰もが自分自身の中で繰り返し行っていることなのです。そしてこれはおそらく3歳の子どもにも言えることではないかと思います。なぜなら、積み木を使って何かを作っていて、それが思ったように完成したとき、手をたたいて喜びます。漠然としたイメージが形となって現れたことに対する喜びだろうと思われます。そしてこのことが、子ども自身の評価です。手をたたいて喜ぶのは自分自身に対する評価です。
けれどもそれは長続きしません。子どもはすぐに壊そうとします。そして、すぐにそれを壊すと、また新たなものを作り始めます。まさに、子どもの遊びは、創造と破壊の繰り返しにあるのです。

 

   6.おわりに

さて、子どもの内面を育てるということを少しまとめてみましょう。
子どもの内面を育てると言うことを別に言い換えれば、先程も述べた「心を育てる」ということにも通じるかも知れません。ただ、「心を育てる」といってしまうと、実際に「生きる」ということに働きかけるものが弱いような気がします。「生きる」ということは、心だけではなく、もっと総合的な人間的な力だと思うのです。人間的な力の一つに、確かに「心」はあるのですが、「心」だけでは生きていけないのです。知識も技術も判断力、決断力、洞察力、あるいはコミュニケーション能力など、人間が持っている様々な力が必要です。これらを育てることが、子どもの内面を育てることだと思います。そしてそれは、大人が子どもの中に手を突っ込んで創るものではなく、子ども自身が創ったり壊したりして完成していくものなのでしょう。 
ですから、時にはきちんと教えると言うことも大切にしながら、その一方で、子どもの成長をじっと見守り、ひたすら待つ姿勢でいること。焦らず、慌てず子どもの成長をしっかり見ることが大切だと思います。そして必要に応じて、子どもの話をしっかり聞き取り、それを受け止めつつ、親には親の都合や考えがあることも遠慮無く話すことです。
そのことによって、3歳の子どもがすぐに物わかりのよい子になるわけではないのですが、子ども自身が周りに信頼を寄せ、自分を出すことに臆病にならず、あるいは傍若無人な言動に終始することなく、自分を創っていくことに専念できるのではないかと考えています。

3歳は、自分作りの分岐点であり、出発点です。
3歳児との関わりは、教え込み強制型ではなく、放任型でもなく、新たな第3の道を子どもと共に歩むことだと思います。
それがまた同時に親である皆さんの成長でもあるのではないかと思います。
言い古されたことですが、まさに「育児」は「育自」でもあることを、もう一度考えてみたいと思います。

子育て・幼児教育・育児

元カリタス小学校 教頭
小野 一

 

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